大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和42年(う)1158号 判決

主文

原判決中被告人萩野裕一に関する部分を破棄する。

被告人萩野裕一を懲役四年に処する。

被告人萩野裕一に対し原審における未決勾留日数中一九九日を右本刑に算入する。

原審における訴訟費用は全部被告人萩野裕一の負担とする。

被告人井上義富の本件控訴を棄却する。

被告人井上義富に対し当審における未決勾留日数中一〇〇日を同被告人に対する原判決の刑に算入する。

理由

本件各控訴の趣意は、被告人井上義富につき弁護人横田静造及び同松岡清人連名作成の、被告人萩野裕一につき弁護人小西正秀作成の各控訴趣意書記載のとおりであるから、いずれもこれを引用する。

各控訴趣意中、事実誤認の主張について。

論旨はいずれも、原判示第一の事実につき被告人両名には殺意がなかったといい、なお被告人萩野については、仮りに被告人井上に未必的殺意があったとしても、被告人両名の間に殺人についての共謀はなかったのであるから、被告人萩野は傷害致死罪の責任を負うに過ぎないというのである。

よって案ずるに、原判決挙示の関係各証拠によれば、被告人両名は、小学校、中学校を共にし、とくに中学校時代以来親友の仲となっていたが、昭和四一年九月中ごろ相携えて故郷(高知県香美郡)をあとにし、原判示井上重機有限会社多田山作業所に来て同作業所の飯場に止宿し、土工として働いていたものであるが、同年一〇月八日午後八時四〇分ごろ、被告人両名の止宿していた組立式二階建宿舎の一階入口附近において、被告人萩野が、酔余大声でくだを巻いていた土工久川洋介(当時一七才)の様子を見ていた際、同人から「お前山田の若衆やろが」とからまれただけでなく、右手拳で左肩付近を小突かれるに至ったので立腹し、「お前なにしよら」と詰ったところ、同人が、さらに「やっちゃるから待っとれ」と喧嘩を挑んだうえその場を立ち去ったので、折しもそこへ来合わせた被告人井上に右のいきさつを告げた。被告人両名は、平素久川とは作業場も宿舎も異なり、食堂または風呂場で顔を合わせることがあるだけで、言葉を交したこともなく、従って同人に対し遺恨とか反感を抱いたことはなく、ただ何となく虫が好かぬ程度の感を抱いていたに過ぎなかったが、同人が日ごろ伐採作業に従事していたところから、鉈などの兇器を準備して襲撃してくるものと思い込み、被告人萩野が同井上に対し「あの男は道具を取りに行った」と言うと被告人井上は「道具を取りに行ったんなら、お前やられるぞ。やられん間に先にやったれ」と言い、ここに被告人両名は共同して機先を制して久川に攻撃を加えようと決意して、各自直ちに得物の準備にとりかかり、被告人井上は同所から約二〇余メートル離れた同飯場内道具置場から作業用スコップ一挺を持ち出し、被告人萩野は、右道具置場北隣りの食堂内の炊事場から菜切庖丁二本(いずれも刃渡り一六・七センチメートルの先端の尖ったもの)を持ち出し、そのうち一本を同所付近に来合わせた被告人井上に手渡したうえ、さらに右道具置場で棒切れを探していたが、その間に被告人井上は被告人萩野より一足先に前記宿舎一階入口付近へ引返したところ、その際同被告人は久川が同入口の柱にもたれて立っているのを認め、同人が兇器を隠し持っているものと臆断し、恐怖心も手伝って興奮がたかまり、とっさに、同人から攻撃を加えられる前に攻撃を加えようと考え、無我夢中で所携の前記菜切庖丁で同人の前胸部を力一杯一回突き刺し、さらに、所携の前記スコップで同人の左前頭部を力一杯一回殴りつけた。そのとき、一足遅れた被告人萩野は同所から約二〇メートル離れた地点にいたため、右宿舎内部にいた久川の姿はこれを認めえなかったが、被告人井上が同人に対して右の攻撃を加えているのを目撃したので、これに加勢するため、同所に駈けつけ、前記宿舎一階入口を内部に入ったところ、既に久川が廊下に倒れていたので、「おいどないしたんや」とどなりながら同人の腰付近を二、三回蹴ったこと、及び被告人井上の久川に対する前記攻撃により同人に対し、心臓后壁を貫いて左肺上葉の一部を損傷する創管の深さ一五センチメートルの前胸部刺創及び長さ六・三センチメートル、幅〇・八センチメートルの頭蓋骨陥没骨折を伴う前頭部割創などの傷害を与え、右心臓刺創に基づく失血により、同所においてまもなく死亡させたことが認められる。そして右認定の事実によると、被告人井上と同萩野との間に久川洋介に対し共同して暴行ないし傷害を加えようという意思の連絡すなわち共謀があったことは明らかであるが、被告人両名には共同して久川を殺害する程の動機も認められず、被告人両名の間に共同して久川を殺害しようという意思の連絡があったことを認めることはできない。もっとも、被告人井上の司法警察員に対する供述調書には「私は庖丁を受け取った時はこの庖丁を使うようなことが起ればと思って怖かったのですが、何故怖かったかと言いますと、久川も鋸や鉈なんかを持って来るかも知れませんし、そんな事になれば、私も庖丁を持って相手を刺し殺す場合もできてくるし、又私が反対に久川に殺されることもあると思って怖かったのです。この私の心境は萩野も同じであろうと思います」旨の供述記載があり、被告人萩野の司法警察員に対する昭和四一年一〇月一三日付供述調書(但し二通のうち前綴のもの)にも「私は久川は伐採の仕事をしているのでナタでも持って来たら酔っているし殺されるかも知れないという様に感じましたので、殺されるような状態になれば先に殺してやろうと思い、炊事場に行って庖丁を用意しておこうと井上には何も云わず炊事場に入って行き、井上も私から三メートル位後方の位置に立っていて、庖丁を取れと小声で言いましたので、私と同じように相手の出方で先にやってしまう(殺すことの意味)と思っていると感じたので、二本の庖丁を抜き取って井上に右手に持っていた庖丁を渡した」旨、また同被告人の検察官に対する昭和四一年一一月一七日付供述調書にも「私が庖丁を持って出かけるときは井上は庖丁のほかスコップも持って行きました。このときの私の気持は、相手が伐採の仕事をしている久川ですから、斧か鋸かの刃物を持ってくるにちがいない。そうすれば私も井上も命が危いと思ったので、我々二人は庖丁やスコップでこれに手向って行くつもりだったのです。従って、刃物を持って相手に向えば、当然切った突いたの血なまぐさい喧嘩になり突き場所や殴り場所が悪かったら命にかかわる大事なことになることはもちろん判っていたのですが、なにしろ相手は酒を飲んでいますから、思いがけない態度で我々に向ってくるかも知れないので、その際には先に相手をやっつけてやろうという気もあったのです」旨の各供述記載があって、右各供述記載によると、あたかも、被告人両名がスコップや庖丁を準備したときに、暗黙のうちに、久川の出方によってはこれらの兇器を使用して同人に先制攻撃を加え、その結果同人を死に至らせる結果が生ずることがあってもやむをえないとする意思の連絡、すなわち、未必的殺意に基づく殺人の共謀があったかのごとくとれないこともなく、原判決が罪となるべき事実としてその旨の認定をしているのも、右各供述記載によったものと考えられる。しかしながら、右各供述記載はいずれも、被告人両名が捜査官から理詰めの質問を受けて作文的に供述させられた感があって、にわかに信用しがたいのみならず、仮りに右各供述記載が真実を述べたものであったとしても、それだけでは未だ未必的殺意に基づく殺人の共謀があったと認定することはできないものと考える。何故ならば、共謀者らが人を殺害することを意欲していることが認められる場合には、その意思の連絡だけで殺人の共謀が明瞭な形で認められるのであるが、共謀者らにおいて人を殺害する程の動機も認められず、従って人を殺害することを意欲していないと考えられる場合に、その共謀者らに殺意ありといいうるためには、共謀者らが或る行為が人の死という結果を生ずること或は生ずるかも知れないことを認識しながら、そのような結果の発生を認容し、あえて、その行為に出ようとする意思のあることを要することはいうまでもないところであって、先ず行為内容が前提され、その行為によって人の死という結果の発生することが確定的または未必的に認識されることが必要である。従って、共謀者らが人を殺害することを意欲していない場合に、なお殺人の共謀があったとするためには、共謀者間において、行為内容例えば兇器の種類形状、及びその具体的使用方法等について相談ないし意思の連絡(犯行現場における共同犯行の認識をも含む)がなければならないものと解すべきである。ところが、被告人両名の前記各供述記載及びさきに認定した事実関係を総合しても、被告人両名が久川を殺害しようと意欲していたことはこれを認めることができずせいぜい、被告人両名が久川の出方によっては、機先を制して前記菜切庖丁及びスコップを使用して同人に攻撃を加え、そのため同人を死に至らせる結果を生ずることになるかも知れないと感じていたということが認められるに過ぎない。すなわち、被告人両名が兇器の種類及び形状を相互に認識し、かつこれを使用するということについて暗黙の意思連絡があったこと及び久川の生命の危険に対する危惧の念があったことは認めうるけれども、その兇器の具体的使用方法すなわち攻撃行為の内容についての認識及び意思連絡があったことを認めることはできず、従ってまた、久川の死の結果を確定的または未必的に認識し、かつその結果の発生を認容する意思があったことを認めるには十分ではないからである。結局被告人両名の間にはあらかじめ久川に対する殺人の共謀があったとすることができず、暴行ないし傷害の共謀があったことを認めうるに過ぎない。但しさきに認定した事実関係によって認めうる被告人井上の犯行直前の心理状態並びに久川に対する攻撃内容、すなわち兇器の種類、形状、その使用方法、傷害の部位、程度等に照らすと同被告人は恐怖心も手伝って興奮がたかまり、無我夢中で久川に対して前記菜切庖丁をもって通常死の結果が発生する危険のある攻撃を加えたものであるから、同被告人には少なくとも犯行現場において未必的殺意があったことを認めるに十分である(弁護人横田静造及び同松岡清人の所論は、被告人井上がスコップを持ち出す前に杭を抜こうとしたこと、被告人萩野から庖丁を手渡されたのに犯行現場へスコップも一緒に携行していること、及び逃走途中被告人萩野と病院へ電話をしようかと話し合ったことをもって、被告人井上に殺意がなかったことの根拠とするのであるが、所論のごとき事実は、被告人井上が久川を殺害しようと意欲しなかったことの根拠となりうることはあっても、右突発的な未必的殺意を認定することの妨げとなるものではない)。しかしながら、一方、被告人萩野は、被告人井上が右兇行に出ているときには、未だ現場から約二〇メートル離れた地点にいてこれを目撃したのであるが、久川の体は建物の内側にあったため、これを認めることができず、被告人井上に加勢するため、現場に駈けつけたときには既に久川は廊下に倒れていたので、「おい、どないしたんや」とどなりながら、同人の腰のあたりを二、三回蹴ったというのであるから、同被告人は、被告人井上が未必的殺意をもって久川に対して通常死の結果を生ずる危険のある行為に出たことを認識していたとは断定できず、従って同人の死を認容して被告人井上に加勢して攻撃を加えたと認めることもできない。すなわち、被告人萩野については被告人井上と共に久川に対して暴行ないし傷害を加えるという共同犯行の認識があったことを認めることができるけれども、久川を殺害することを被告人井上と共同することの認識があったことを認めうる証拠は不十分である。

以上説示したところから明らかなごとく、被告人両名が原判示菜切庖丁及びスコップを準備したときに、被告人両名の間に未必的殺意に基づく殺人の共謀が成立したとの事実を認定した原判決には事実の誤認があるけれども、被告人井上については、結局犯行現場において未必的殺意に基づいて久川に対し原判示の攻撃を加えたことが認められるので、右事実の誤認は判決に影響を及ぼさないものというほかない。しかし、被告人萩野については、終始未必的殺意を認めることができず、現場においても暴行ないし傷害の程度の共同犯行の認識があったことを認めうるだけであるのにかかわらず、前記殺人の共謀があったことを前提として、同被告人に殺人罪の成立を認めた原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるといわなければならないから、原判決中被告人萩野に関する部分は破棄を免れない。してみれば、被告人井上の弁護人の論旨は理由がないが、被告人萩野裕一の弁護人の論旨は理由がある。

被告人井上の弁護人の控訴趣意中、量刑不当の主張について。

よって、所論にかんがみ、記録を精査して案ずるに、本件は被害者久川洋介の酔余の些細な言動に興奮し、同人に対して不当に恐怖心を抱き、兇器を準備して同人に相対し、同人が武器を隠し持っているものと誤信したとはいえ、兇器も持たずに佇立しているだけの同人に対し、特に怨恨もないのに、未必的殺意をもって必要以上に苛烈な致命的攻撃を加えて同人を殺害したものであって、その罪責は極めて重く、被告人井上の非行歴を含む経歴、ことに特別少年院を仮退院してから、わずか三ヵ月にして本件犯行を犯したものであること等の事情に照らすと同被告人が貧困な家庭に生育し、恵まれない環境にあったこと、同被告人の母において被害者久川の遺族に対して謝罪し、香典三、〇〇〇円を包んだうえ、毎月五〇〇円宛弔慰金を郵送しており、久川の両親も同被告人に対し宥恕の意を示していることのほか、同被告人の年令等、所論の各事情を考慮しても、同被告人を懲役一〇年(未決勾留日数一九九日算入)に処した原判決の量刑が不当に重過ぎるとは考えられない。この点の論旨も理由がない。

よって、被告人井上の控訴は理由がないから、刑事訴訟法三九六条により同被告人の控訴を棄却し、当審における未決勾留日数の算入につき刑法二一条を適用して主文五、六項のとおり判決することとし、被告人萩野については、控訴趣意中、量刑不当の主張についての判断を省略して、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により、原判決中被告人萩野に関する部分を破棄したうえ、同法四〇〇条但書によってさらに判決をすることとする。

(罪となるべき事実)

原判示第一の事実中、「ここに被告人両名は、右久川に対し、これらの兇器を使用して先制攻撃を加え……」以下を、「ここに被告人両名は右久川の出方如何によっては、これらの兇器を使用して同人に対して先制攻撃を加えようとの意思を相通じこれを共謀するに至ったが、同日午後八時五〇分ごろ、被告人萩野に先立って前記宿舎一階入口付近へ引返した被告人井上は、同入口にもたれて立っていた右久川の姿を認めるや、同人が兇器を隠し持っているものと臆断し、恐怖心も手伝って興奮の極、とっさに、同人から攻撃を加えられるより先に同人に攻撃を加えなければならないと考え、同人を死に至らせる結果が発生するかも知れないことを意に介せず、やにわに所携の刃渡り約一六・七センチメートルの前記菜切庖丁で同人の前胸部を力一杯一回突き刺し、さらに所携の前記スコップで同人の左前頭部を力一杯一回殴りつけ、よって同人に対し、心臓を貫通する前胸部刺創、頭蓋骨骨折を伴う前頭部割創などの傷害を与え、同人を右心臓刺創に基づく失血により、同所においてまもなく死亡させて殺害したが、被告人萩野は被告人井上に加勢すべく、遅れてその場にかけつけたが、当時、暴行ないし傷害の犯意はあったけれども、被告人井上が未必的殺意をもって右犯行に出たことを認識しなかったものである。」と変更するほか、原判示第一及び第二の事実のとおりであるから、これを引用する。

(証拠の標目)

原判決挙示の被告人萩野に関する各証拠のとおりであるから、これを引用する。

(法令の適用)

法律に照らすと、被告人萩野の原判示第一の所為(前記のごとく変更したもの)は、客観的には殺人として刑法一九九条、六〇条に該当するが、同被告人は右犯行当時暴行ないし傷害の犯意しかなかったのであって、被告人井上が殺意をもって本件犯行に出たことを認識しなかったものであるから、被告人萩野については軽い犯意に基き同法三八条二項に従い傷害致死として同法二〇五条一項、六〇条をもって処断することとし、原判示第二の所為は同法二四九条一項に該当するところ、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い傷害致死の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期範囲内で処断すべきところ、情状について考察するに本件各犯行の動機、手段、態様、ことに原判示第一の事実は被告人萩野は久川洋介の酔余に出た些細な言動に興奮し、被告人井上と相談して使用方法如何によっては、生命に危険のある菜切庖丁二本を準備して、うち一本を同被告人に手渡し、久川の出方によってはこれを使用して久川に攻撃を加えることを共謀したものであって、なるほど被告人井上が殺意をもって久川を殺害するに至ることは、被告人萩野の予期しなかったところではあるけれども、喧嘩のなりゆきによっては久川を死に至らせることがあるかも知れないことは同被告人においてもこれを危惧しながら、右のごとき危険な兇器を持ち出し、重大な結果を発生させる原因を作った罪責は軽視できないこと及び、同被告人の非行歴を含む経歴に照らすと被害者久川にも被告人萩野に不快感と、恐怖心を生じさせた点に非がなかったとはいえないこと、同被告人の父において被害者久川の遺族に謝罪し、香典三、〇〇〇円を包んで誠意を示し、被害者の遺族も同被告人の罪を宥恕する意を示していること等の点を考慮しても同被告人に対しては懲役四年に処するのが相当であると考えられるので、原審における未決勾留日数の算入につき、同法二一条、原審における訴訟費用の負担につき刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して、主文一項ないし四項のとおり判決する。

(裁判長裁判官 奥戸新三 裁判官 中田勝三 佐古田英郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例